Sparkler Audio | メッセージ

Sparkler Audio

スパークラー・オーディオ株式会社

お客様の声

 弊社製品をお求めいただいたお客様から、ユーザー登録アンケート、メールや電話などで製品について感想をくださいます。それらの一部について紹介します。

model S301 "diva"――ステレオ・フルレンジスピーカーシステム

「低音域から高音域までバランスよく、足並みが揃った小気味よい鳴りっぷりは、この小型エンクロージャからは想像できない。」【滋賀県】

model S302 "starlight"――USB-DAC付きステレオ・プリメインアンプ

「コンパクトで目立たない。疲れない音に満足。プリアウト(テープモニター端子)、ヘッドフォン端子があればなおいい。」【山梨県】

「昨年、スピーカーS301Aを購入してから約2週間、音を出し続け(24時間ではありませんが)初期の硬さがとれて程よく鳴るようになった頃にアンプS302が届きました。組み合わせてみてスパークラー・オーディオ様の真価はアンプS302にあると感じています。音楽的な響きのある音がします。OFC銅単線のスピーカー・ケーブルの効果もあってか雑味のないコーヒーのようなスッキリした音になりました。ピアノの音がきれいです。過剰なことを求めないでシステムをコンパクトにしたいと思ってた私の考えにピッタリです。私はこのように無駄を削ぎ落とした作り方がとても好きです。またアンプにUSB-DACが組み込まれていることも魅力的で、購入の動機の一つでした。」【宮城県】

model S303 "notebook"――コンパクトディスクプレーヤー

"Excellent unit. There’s nothing on the market that can compete with this unit at the price." [California, USA]
「素晴らしい装置だ。この価格で、ほかに太刀打ちできるものは市場に見当たらない。」【カリフォルニア、アメリカ合衆国】

"I like this one. Sound is good." [Vancouver, Canada]
「これ気に入っているよ。音質がいいね。」【バンクーバー、カナダ】

"Ich wollte Ihnen abschließend nur noch einmal sagen, daß mir der S303 wirklich sehr gut gefällt. Er ist wirklich ein außergewöhnlich feiner CD-spieler, der durch die Akku-versorgung noch einmal deutlich feiner spielt. Ich wünsche Ihrem Unternehmen den ihm gebührenden Erfolg!" [Düsseldorf, Deutschland]
「もう一度あなたに伝えたいことがある。私はS303をとても気に入っている。これは本当に並外れたCDプレーヤーで、素晴らしい響きを持っている。あなたのさらなる発展を期待している。」【デュッセルドルフ、ドイツ】

model S304 "nostalgia"――ステレオFM/AMチューナー

「FM/AMともに感度・明瞭度は特筆すべき性能だ。暖かみのある音質は聴き疲れしない。」【山梨県】

model S305 "pianoforte"――ステレオ・ヘッドフォン/ラインプリアンプ

「両者(S304/S305)を組み合わせて音を聴いたが、このチューナー、デジタル方式とは思えない声の温かみが良い。プリも音楽を熱く表現するようなタイプではないかと思う。このサイズ、この価格としてはかなり達者な音楽表現を聴かせる製品群だ。外観も含め、思わず欲しくなるコンポーネンツである。」【季刊・オーディオアクセサリー、炭山アキラ氏】

model S301A/S303/S304/S306

"So far, your products are wonderful and the feedbacks are excellent. Thank you for your Great Products."
「これまで、君たちの製品はすばらしく、お客の反応もかなりいい。良質な製品に感謝している。」【北米地域の代理店より】

model S307 "sparkling"――ミニ・プリメインアンプ

「小さいながら3Wとは思えない十分な音量で、サブシステムとして十分すぎる音質で気持ちよく鳴っている。これまでさまざまなアンプを聴いてきたが、これほど音楽的でスピーカーの存在を忘れさせる音場を聴いたことがない。この価格では実にもったいないアンプだ。」【岡山県】

モノづくりへの指針

「音」と「響き」について

 電子機器の設計では、必要な機能や性能を実現するために、可能な限り最新の技術を駆使します。ところが、オーディオ製品・音響機器の設計は、ある意味アプローチのしかたが電子機器のそれとは異なっています。音響機器の場合、技術の複雑さや機能の多さよりも、むしろ音の鮮度を重視します。音響機器にとってさらに重要なのは、電気臭い嫌な付帯音がせず、色付けや誇張が少ない、生演奏にできるだけ近い活き活きした自然な音空間、すなわち微妙な「響き」を再現できるものでなければなりません。そのために音響機器の設計では、しばしば電子機器という立場を離れ、楽器をつくるのと同じ鋭敏な五感を必要とします。楽器の場合、その響きにたいしてつねに理想のイメージをいだき、雑音や不快な音を取り除くことによって、ひとつの作品として仕上げられていきます。確かに現代のオーディオ製品の多くは、「音」を追求しているかもしれませんが、「響き」をそのなかに体現していません。それだけでは人為的な再生装置であり、いつかリスナーは聴き飽きてきます。音響的、音楽的に追求されたオーディオは、電気振動やたんなる物理的な「音」だけではなく、媒体を越えて聴き手にある強い思いを呼び起こさせ、作曲家や演奏者の伝えたい音楽的な「響き」を感じさせることができます。それが心を癒すこともあれば、時には心に突き刺さるメッセージであっても。

技術とデザイン

 『アーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)は、イギリスの詩人、思想家、デザイナーであるウィリアム・モリス(1834 年~1896 年)が主導したデザイン運動である。美術工芸運動ともいう。ヴィクトリア朝の時代、産業革命の結果として大量生産による安価な、しかし粗悪な商品があふれていた。モリスはこうした状況を批判して、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張した。モリス商会を設立し、装飾された書籍(ケルムスコット・プレス)やインテリア製品(壁紙や家具、ステンドグラス)などを製作した。』(Wikipedia より抜粋) 該当サイトへ

 これを読んで、今の時代の何かに似ていると感じられたかもしれません。ホームセンターに行くと、海外製の安価なCD ミニコンポやラジカセが数千円で売られています。まあ音が出れば何でもいいやと買ってはみたものの、あまりにもひどい音ですぐに飽きてしまって売り払い、そのような哀れな製品は、粗大ゴミとなって短い生涯を終えます。安物買いの銭失いとはこのことでしょう。中身を見てみると、けっこう部品もたくさん使っており、中には日本製?(おそらくコピーでしょう)の半導体さえ見かけます。全体に作りが粗雑で、いかにも丁寧な手仕事を感じさせません。それはさておいても、もうちょっと設計を良くすれば、少ない部品でもっといい音になるのにと思われる点が多々あります。シンプル・イズ・ベストとはいえ、粗悪品と紙一重ではないかと思います。つまり、ただシンプルな作りで終わっているのは粗悪品ですが、いっぽうで音響的な質を高めるためシンプルな設計に練り上げていくのが、丁寧な手仕事による製品であると考えます。Made in Japan は健在です。

音楽と芸術のはなし

音楽の力

 『芸術の目的は、アドレナリンの瞬間的な放出ではなく、驚きと穏やかな心の状態を、生涯かけて築いていくことにある。』—— グレン・グールド
"The purpose of art is not the release of a momentary ejection of adrenaline but is, rather, the gradual, lifelong construction of a state of wonder and serenity." —— Glenn Gould
グレン・グールド(1932〜1982)

 偉大な哲学者たちは、音楽の力と人間自身そして社会への影響について、また音楽の力による文明の飛躍と没落についても精通していました。人間生命の本質および人間の意識にたいして調和的で肯定的な音楽は、人間の知性と感情、意識を高揚させ、逆に不調和で否定的な音楽は人間そして文化に多くの災いをもたらします。このような音楽の力は、いわば両刃の剣であり、人間と文化をはるかな高みに向上させることもあれば、計り知れない堕落と狂気、退廃と没落へと陥れることもあります。協調的で平和的な音楽が人間を純化し、高度な文化を育む温床であるいっぽう、戦争や世界的な不和を生み出す時代背景には必ずと言ってよいほど否定的、退廃的、破壊的、扇動的で悪意に満ちた不調和な音楽が流行していることは、第二次世界大戦、ヴェトナム戦争や朝鮮動乱の歴史を見ても明らかです。クラシック、ポピュラー、ジャズ、ブルース、ゴスペル、ロック、カントリー、民族音楽、映画音楽、童謡、宗教音楽、行進曲などのジャンルに関係なく、また作曲家や時代背景にかかわらず、音楽には人間の意識にたいして肯定的(ポジティブ)な作用をもたらすものと、否定的(ネガティブ)なものの両者が混在しています。それらはリスナーに作用し、良くも悪くも意識の変化として現れてくるからです。
 人間の心の奥底に浸透する力を持った音楽には、ある種の魔力というものがあります。その一翼を担うメディアアートにおいても、この力を正しい方向へと導く責任の一端があることを忘れてはなりません。音楽は人間の左脳と右脳の結びつきを、よりよい方法で発育させ、さらには音楽にたいしてアクティブに関わるときに、他者と自分が「ともに生きる」ということを想起させます。ですから、ただ受け身で音楽を聴くだけでなく、楽器を演奏したり声を出して歌うなど、より積極的な態度で臨むことにより、さらに音楽の価値が発揮されます。本当に調和した音楽は、聴く者と奏でる者の双方に喜びをもたらすものであり、人間としての品格を高めるために欠かせないものであると感じています。

音楽の一元論

 音楽とはふつう、空気の振動となった音を通じて、耳によって聴くものであると思われています。ところが、必ずしもそれだけが音楽であるとは限らないケースがあります。例えば、夢の中で話し声や歌、自然の音や楽器の演奏を、空気を媒介とせず、おそらく潜在意識のなかで直接に聴いていることさえあります。これは、かつて聴いた音の記憶を思い出すのとは異なり、その場で実際に音を「聴いて」いるような体験のことです。さらには、作曲家や演奏家たちが、散歩をしながらメロディーが心(意識の表層)に浮かんで響いてきて、素晴らしい曲を着想するといったエピソードが数多くあります。そのように考えると、音楽にとって物理的な現象は、「かつて意識のなかに音楽が存在した」というたんなる二次的な結果にすぎず、音としてそれを表現した瞬間に現れては消えていくメロディーやハーモニーという、実在する意識の産物の影でしかないと思われます。いわば、「音よりも前に意識が先にあり」なのです。もし機械的に、無作為に羅列した音でしかないならば、それは初めから「音楽として実在した」ものの結果ではないのだから、人の心に「音楽を呼び覚ます」力を持っていません。それはたんなる「音」にすぎず、「音楽」でないので、人の心を動かすことができません。だが、ひとたび作曲家や演奏家の意識のなかに生まれ、音として発せられた「音楽」は、リスナーの心に伝わり、種がまかれ、育まれ、やがて「音楽」という大きな樹木に成長します。それは生演奏の場に立ち会った場合のみならず、物理的な媒体としてのオーディオ装置を介して聴く場合も、それは当てはまります。つまり、誰の意識のなかにも「音楽」という原型が初めから存在しており、有機的なつながりによってそれを呼び覚ますために、音という物理的な刺激が用いられているにすぎないのではないでしょうか。音楽はいわば普遍的な暗号、先天的な共通言語であり、誰もがそのなかに生まれつき持っている共通の普遍意識に基づいています。音楽という存在は、人間の意識の世界の奥深さ、不思議さを改めて問うものであると感じています。
 オーディオ装置は、音楽を聴くための媒体としての役目を果たすために、たったひとつのことが要求されます。それは、人間の内なる意識の世界に「音楽を呼び覚ます」力を損なわないことです。音楽的なるものを損ない、改ざんし、ねじ曲げ、誇張することは、その役目から逸脱します。そのためにオーディオ装置は、可能な限りシンプルであり、音空間をつくる清涼な空気でなければなりません。なぜなら、完全無欠な性能の装置や部品というものは存在しないので、複雑にすればするほど、まるで何回もコピーを繰り返すように、不鮮明になり、不実になるからです。ですから、オーディオ装置にとって最も重要なテクノロジーは、音楽の鮮度を保ちつつ、必要最小限の方法でリスナーに届けることであり、それがすべてです。オーディオ装置に限って言えば、ミニマリズムという方向をめざすことには、正当な理由があります。いかに優れたテクノロジーによっても、ひとたび失われた音楽的な響きを取り戻すことができません。音楽的な立場に立てば、副作用の危険性が伴う複雑なテクノロジーの導入にたいして、つねに慎重な態度をとるべきであると考えます。