別府へようこそ
温泉宿
誰でも時には、日常のあわただしさから離れ、少しの間でも別世界に浸りたいことがある。日本の場合は、自然の懐に包まれた温泉宿に泊まり、湧き出る温泉に癒され、その風土に合った料理を味わい、普段は目にすることもない海辺に浮かぶ月や星々を眺める。そのどれもが、日常の世界から解き放たれ、別世界に入るための演出であり、儀式である。そうして人が別世界にたどり着くと、いつもは喧噪の中に埋もれていた感性が研ぎ澄まされ、今までとは違った角度から自分と世界を見つめることができる。そこから得られるものは、人によりさまざまであろう。だが一つ言えることは、再び日常に戻ったとき、それまでの自分とは少しだけ違う。楽しかった思い出だけではなく、落ち着きと平静を取り戻し、意識のどこかに前向きな力が湧き起こってくる。さあ、明日からまた頑張ろうと。
こうした時間は、決して無駄ではない。人間が英気を養い正気を取り戻すために、日常を離れる機会は時には必要である。さもないと人間は日常の中に埋没し、押しつぶされ、大切なことを見失ってしまう。しばしば温泉宿に泊まる余裕はないにしても、一日のうちでわずか数十分でも、自分をリセットする機会があればいい。日々の労働で汗をかき、神経をすり減らした後に、楽しく休養できる時間を持つことは、人間として当然の権利であり、欠かすことのできないことなのだ。世界には昼と夜があるように、それは天体の運行に等しい。
音楽もまた、温泉と同じような役割があるように思う。喧騒の中でただ騒音のような音楽らしきものを浴びるのではなく、静かに耳を傾け、美しい音楽の世界に浸ることで、消えゆく余韻の中に落ち着きと調和を自分の中に蘇らせることができる。音楽には人を癒す大きな力が秘めている。私たちオーディオ・デザイナーの役割は、心地よいと感じられる音楽の世界にリスナーをいざなうこと、それがすべてである。<2019.09.15>